「アナログからデジタル、そしてクラウドへ」~それはCDからはじまった

本サイトの主催者の自己紹介を兼ねて、デジタルの進歩を振り返りつつ、CDからはじまったデジタルキーパー創立者のアナログからデジタル化、そしてクラウドへ移行していった歴史をご披露します。
皆さんと同様、今はデジタル抜きの生活は考えられません。
デジタルに触れて40年近く、そろそろ「膨大なデジタル遺品やデジタル遺産をどうしようか?」デジタル終活を意識する年齢になってきました。

デジタルキーパー株式会社の社長のデジタルとの関わり

アナログ~デジタル~クラウドへ大変化の40年

2019年、私は還暦を迎えました。

とにかく若いころから、機械やパソコンをはじめとする「デジタル物」が大好きで、常に周囲より先に手に入れ、それなりに使いこなしてきました。

振り返って見ると、昭和の終わりから平成の時代は、それまでの情報伝達が、紙とかテープとか「物を介して伝えていた時代」から、「0」と「1」によって表される「デジタルを介して伝える時代」への変化だったと思います。
さらにこの10年ほどはデジタルは媒体に保管するのではなく、形のないネットの雲(クラウド)上に存在するのが当たり前になるつつあります。すさまじい変化の時代でした。

いつの間にか身の回りはデジタルだらけ、データはクラウドの上

その結果、私達の身の回りには、以前では考えられないほどデジタルがあふれています。

私の自宅には何台ものPCやサーバーが稼働し、タブレットやスマート家電も何台も活用しています。iPhoneやiPadは初代から愛用しています。MACもWINDOWSでも、およそデジタル物の扱いだったら、おそらくまだ若い人には負けないと思います。

趣味でもデジタルは大活躍で、デジカメ一眼レフ写真のRAW現像から、PCを使ったハイレゾ音楽の録音や再生まで、人一倍デジタルを使いこなしてきました。

仕事でも、いつしか大小いろいろなシステムを構築したり、ECサイトを立ち上げたり、大手企業でさまざまな分野でITの最前線に携わってきました。

デジタルはアナログよりもろい。だからデジタル終活が必要

その過程で数々の成功や失敗の経験を積む中で、デジタルやITシステムのすばらしさと難しさ。さらに

「セキュリティを考慮していないと、どんなに恐い目にあうか」
「アナログなデータと異なり、あっという間に永遠に消えてしまうデジタルデータ」のはかなさ

も身をもって体験してきました。

この数年、デジタル終活を意識する年代になってきましたので、過去の経験を生かして、自分のデジタル資産を整理して、デジタル終活を実行しています

まだ完全とは言いがたいですが、きちんと整理した事により、デジタルとの付き合いでのストレスが減り、ほぼ安心してデジタルに向き合えるようになったと思います。

当サイトでは今までの経験やノウハウをご披露して、皆さんと一緒に「デジタル遺産とデジタル遺品の安全な管理とデジタル終活」を考えていきたいと思います。

まずは自己紹介を兼ねて、ネットの創生期から始まる「私とデジタルの付き合い」をご披露します。

私のデジタル遍歴~1 .Windows95以前

初めてのデジタルはCDから

社会人になった1983年頃まではデジタルという言葉は全く聴くことはありませんでした。職場にはワープロやパソコンもなく、大きな和文タイプライターがでんと構えていた時代です。FAXが当時の最新鋭のオフィス機器でした。

なんとなく、「デジタル」という言葉はソニーが「デジタル録音」という言葉で世の中に広まっていったように思います。
初めて触れて意識して使い始めたデジタル機器は1980年代初めに発表され、1984年頃より一気に普及しだしたCDです。

根っからの音楽マニアで増え続けるカセットの置き場や、レコードの静電気とホコリに悩んでいた私は、アナログ録音にくらべ雑音がなくコンパクトで扱いやすいCDこそ救世主に思え、デジタルの世界に一気に引き込まれてしまいました。

パソコン導入そしてパソコン通信を体験

当初は「マイコン」と呼ばれ、マニア向け製品だったPCが普及しはじめ、ようやく手に入れたのは1986年
当時日本語対応で一世を風靡したNECのPC9801UVでした。まだハードディスクはない時代で、3.5インチのFDD(フロッピーディスクドライブ)が記憶媒体でした。

「とにかくひどい悪筆を何とかしたい」と、当時評判のワープロソフト「一太郎Ver.2」を使うためです。安価になったとはいえ、PCとソフトで給料の3か月分以上したと思います。

当時はまだ、東芝が開発した数百万円するワープロ専用機が世に出た時代で、個人でワープロを使うためには、開発されたばかりの「一太郎」とか「松」を導入するのが現実的な選択でした。

1080年代の古いPCとプリンター

手書きに比べて、整ったレイアウトに文字が簡単に打てるワープロソフトとPCは「夢の機械」でした。
すぐにラップトップ機の草分け「NEC PC-98LT」も購入し会社に持ち込み、公私でワープロ文章を作成しはじめることになりました。

当時は「一太郎のバージョンが上がるたびにPCに必要とされるメモリーが増え、新しいパソコンが欲しくなる」の繰り返しで、随分PCに投資してローンを抱えてしまいました。

また同じころ、インターネットの前身「パソコン通信」でメールのやり取りや掲示板活用も開始しました。マニアックな世界でしたが、「新しい文化に触れているんだ」という新鮮な驚きに満ちた世界でした。

おかげでお付き合いする機会のなかった技術者の皆さんと、「場所の制約がないコミュニケーション」ができるようになり、パソコンの最新技術や使い方を学ぶことができました。

インターネット登場、ただし遅くて高価だった

そしていよいよ1993年頃からはインターネットも始めました。

「Yahoo!のトップページが表示されるのに1分ぐらいかかる」、今から考えると亀のような通信速度でしたが、通信経由で画像が表示されコミュニケーションまでできる新しい世界の印象は鮮烈でした。

ネットに接続するために回線業者のプロバイダーサービスが広がりました。
富士通のNiftyやNECのBiglobeの利用アカウントを初めて取得しました。

はじめての携帯電話はお飾り状態

携帯電話は1994年に入手しました。時代に先駆けて携帯電話の販売会社を立ち上げた友人から頼まれてたからです。
その頃までは携帯電話本体をレンタルして使う時代で、周囲にも個人で携帯電話を持っている人はほとんど見当たらず、大変なぜいたく品でした。私の初携帯はTukaのモデルでした。右の写真のSony製TH241 ですが、ダイヤルがついていて今でも使えそうな斬新なデザインですね。当時は山手線内でも使えない場所が多いほど基地局もまばらで、まして都心を出るとほとんどつながる場所がなく「電波を探して車で走り回る」というような時代でした。

通話代も「1通話最低100円以上」とかなり高価で、当時はどこにでもあった公衆電話の方がよほど便利。
家族とは「2回着信音鳴らして切るのが帰宅の合図」とか通話しないですむ連絡方法を決めたりして、ほとんど飾りみたいな存在でした。

しかし95年頃から携帯電話本体の買取販売も始まり、通信会社間の競走が激しくなり、みるみる値下がりして、あっという間に誰もが持つようになりました。
でも考えて見るとケータイ時代はまだほんの20年ちょっと、スマホに至っては10年もたっていないことなんですね。

デジタルの進歩には驚きます。

 

Windows95発売されてネットとデジタルが大進歩!

 PCの普及

Windows95が出た「1995年11月23日前夜の騒動」はよく覚えています。販売店に並んで徹夜でインストールしました。
後から考えると、これで世の中のデジタルはがらりと代わり、一気に普及が早まりました。

この頃から一気にPCの価格が下がっていき、個人でも無理せずに購入できるようになりました。
会社内にパソコンがぼつぼつ導入されだしたのもこの頃です。
割高だったPC98から離れてDOS/Vの互換機へ移行し、パソコンの自作も覚え、安価に高性能なPCを使える時代がやってきました。

DVD、MDそしてデジカメ登場

インターネットが使われる頃から次第に身近にデジタルが増えてきました。映像や音楽メディアが次々とデジタル化されていったのです。

MDのディスク

1997年頃からDVDも発売され、2000年の3月にSONYからゲーム機プレステ2(PlayStation 2)が「DVD対応」になったのが普及に弾みをつけました。ビデオテープのシェアは急速に下がってしまい、街中にあったレンタルビデオ屋がみるみる廃業いていきました。

音楽ではMDやDATが登場し、コンパクトで高音質な録音が楽しめるようになりました。MDは当初は高価でしたが、2000年の初めの数年間はかなり普及しましたね。

さらにうれしかったのは、デジカメの普及
昔からカメラや写真好きでしたが、フィルムや現像のコストはとても高価で、なかなか本格的に踏み込むことができません。

ところが93年頃から一般向けのデジカメが発売され、私が初めてデジカメ買ったのは97年。撮影コストが劇的に低減し、いつでも遠慮なく撮影できる時代がやってきました。

2003年頃にはとうとう携帯電話にカメラがついてどこでも気楽にシャッターが押せるようになりました。

2005年頃にはデジタル一眼にも手を出し、RAW撮影も覚えたため、保管する写真の枚数や保管容量は増加の一途をたどっています。

ヤフーや楽天がサービス開始

黎明期より日本のインターネットを支えてきたのはYahoo!です。

1996年4月。Yahoo! JAPANがオープンし、1分近くかけて赤いYahoo!ロゴが画面に出てきた時の衝撃は忘れることができません。

またECショッピングはネットの初期からありましたが、最初の頃のECサイトは使いやすいものではありませんでした。

牽引したのはやはり楽天でしょう。はじめて楽天での買い物は1998年の春「輸入ワイン」でした。問屋から直接購入できる安さと利便性に驚きました。

以来多数のオンラインサービスを利用し、無数のアカウントを利用してきました。

クラウドの時代に入ってのデジタル遍歴

クラウドとの出会い

検索といえばヤフー検索が当たり前の時代にグーグルの名前を初めて意識したのは2000年頃でした。

検索エンジンとしてのGoogleの優位性にはすぐに明らかになりました。
検索のメインはそれまでは有益なサイトまリンクが並ぶリンク集だった「NTTのGoo」とかYahoo!が中心でしたが、次第にGoogleへ移っていきました。

しかしクラウドサービスとしてのGoogleの圧倒的な先進性に気がついたのは、やはりGmail以降のクラウドサービスを使うようになってからです。

2005年頃「Gmailアカウントの招待」が始まってすぐに申込みました。
それまでのパソコンにインストールしたメールソフト(BeckyやOutlook)に比べ、動作が軽く今では当たり前の「複数のパソコンで既読や削除の状態が自動的に同期される」利便性の高さの体験こそ、クラウドとの強烈な出会いでした。

2006年から携帯電話でもGmailが使えるようになったため、メールは早々に全面的にGmailに移行することにしました。

音楽もダウンロードしてPCオーディオへ

2002年頃初めてipodを買いました。10GBのHDDを内蔵していて、PC経由たくさんの音楽が持ち出せました。

また便利なだけでなく「CDを自宅のCDプレイヤーで再生するよりPCに取り込んでipodで聞いた方がはるかに音質が良い」ことに気が付き、CDをPCに取り込むこと(リッピング)を始めました。

その後「PCにDACを接続して、高品質にデジタル音楽データをアナログに変換してアンプから聞く、PCオーディオ」のすばらしさら目覚め、昔より買いためたCDを次々にリッピングし、さらには昔のレコードやカセットテープもせっせとデジタル化してPC経由で聴くことが主流になりました。

昨今は音楽はハイレゾを中心としたダウンロード購入が多くなり、ますますデジタル依存が進んでいます。古いテープやレコードも再生機械が動くうちにデジタル化を進めています。
デジタル音楽もCDやレコードと同じ、大切なものです。これも膨大なデジタル遺品を、どう継承してデジタル終活を実現するか考えなければなりません。

スマホやタブレットの導入

初めてのスマホは2008年iPhone3G。
当時はソフトバンクだけの販売でした。

斬新で感動しましたが、当初のiPhoneは大変不安定で、高価なのに動作が遅くしばしばフリーズし使い物になりませんでした。
翌年iPhone3GSに買い換えても相変わらずで、完成度の高かったガラケーにいったん戻った後、以降はAndroidスマホを愛用しています。

それに比べてiPadは2010年発売の初代より完成度が高く、写真や電子書籍のリーダーとして代々活用しています。

大切なデジタル遺産 IPhone3G
iPhone 3G

紙の本から電子書籍へ、紙の本は自炊(デジタル化)をはじめた

子供の頃より大の本好きで、大量の本を持っていました。

引越しの度に少しずつ処分しましたが、それでも大型本棚10棚ほどの蔵書があり、管理は大変でした。かさばるだけでなく、次第にページは変色し、老眼も相まって読みにくくなり、読み返すことも少なくなってきました。

2012年にAmazonのKindle日本語版が発売され、電子書籍のブームが起きました。紙の書籍の良さは認めるも、電子書籍の利便性は最高です。今では購入する書籍の7割は電子書籍です。

またScansnapのようなスキャナーを使って、容易に書籍を電子化してPDFにする「自炊」を知ってしまいました。以来積極的に蔵書をPDF化しています。
こうすると、スペースの節約以外に、本と付き合う距離がかえって近くなることに気がつきました。

書名から検索も即座に可能ですし、書棚を探すより、階層的に分類された保管フォルダーを探す方がはるかに楽でした。どんなに厚い本でも、出先で読むのも、手軽で助かります。
本棚から何冊も本を取り出すより、iPadから検索する方がはるかに早くて便利でした。

もちろん、今でも心情的に本を分解して取り込んだ後、捨ててしまうのは心が痛みます。しかし「死蔵して読まないより、デジタルの力を借りて、いつでもどこでも読めるようにすることの方が本にとっても正しいのでは」と思うようになりました。

PDF化したとしても本としての価値は変わりません。Amazonなどで購入した電子書籍の帰属も悩ましいです。デジタル遺品としてどう継承するかデジタル終活を考えなければなりません。

アナログ写真のデジタル化

自分が撮影した紙焼き、ネガ、ポジに加えて、父が撮影した子供の時からの紙焼き写真もデジタル化を進めました。

PCに保管するとPCの前でしか見ることができませんが、Googleフォトなどクラウドの写真保管サービスではいつでもどこでも楽しむことができます。クラウド写真サービスが次々と生まれたことが、写真のデジタル化に拍車をかけました。

当初は自分でスキャンを試みましたが、家庭用のスキャナーでは読み取りに時間がかかり、非効率な割にきれいに取れません。
そこでまとめてスキャン代行業者に頼んでデジタル化を進めました。

約800本のネガ、3万枚の写真をほぼデジタル化完了しました。父と親が撮影した昔のカラー写真は褪色が進み。ほとんど消えかけたものも多くあり、辛うじてデジタル保管が間に合いました。

かさばるアルバムが整理できたほか、どこでもタブレット等で簡単に閲覧できます。遠方の家族とも共有できるため、写真のデジタル化は良いことばかりでした。

もしも私がいなくなった際に、家族や友人が私の写真にアクセスできるように、写真についてもデジタル終活を進めています。

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こうしてたまっていった私のデジタル資産。さてどうしよう?

デジタル遍歴の末、デジタル終活にたどり着きました

長文にお付き合いいただき誠にありがとうございました。振り返って見ると「この30年間、ほんとにいろんな新しいデジタルが増え、生活が急激に変わってきたものだ」と思います。

以上ご紹介したようにこの30年の私の生活はデジタルと共にありました。おかげで写真から音楽、本など膨大なデジタル遺品が蓄積され、オンライン銀行や証券のアカウントなどのデジタル遺産も増えてきました。

そんな時にふと「このデジタル、私が急に死んでしまったらどうなるのかな?」と気になるようになりました。

そもそもどれだけのデジタル資産があるのかもよく分かりません。
そこでまず「自分のデジタル資産を、デジタル遺品とデジタル遺産に分けて整理し、何があるのかの全体」を書き出すところからはじめることにしました。